
「関係人口」は、なかなか捉えどころのない概念のように受け取られがちではないでしょうか。関係人口が地域にどういうインパクトを及ぼし得るかは予想困難なところもあるため、尚更そうした印象を抱きかねません。
社会人2年目で金山町の地域おこし協力隊に着任された川村佳恵さんは、その関係人口の創出に果敢に取り組まれています。
その原点には、「自分の可能性を探し続けてきた時間」と、「人との関わりの中で見つけた居場所」がありました。


「何かあるはずだ」と思い続けた学生時代
岩手県盛岡市出身の川村さんは、新興住宅地で育ちました。
「消防団とか青年団とか、そういう地域コミュニティがある場所ではなくて。家族と学校が中心の、わりとコンパクトな世界で暮らしていました」
親や親せきも公務員で、学校の先生も公務員だから、「公務員の世界しか知らなかった」といいます。
「中学生のときは、『13歳のハローワーク』をずっと読んでいました。世の中にはいろんな仕事があるんだなって。でも、自分に何ができるのかは全然わからなくて」
勉強やスポーツで周囲との差を感じる中で、こんな思いがあったそうです。
「周りには、医学部を目指す子とか、スポーツでトップを目指す子とかがいて。『自分って何もないな』って思っていました。でも同時に、“何かあるはずだ”とも思っていて」
その思いが、行動につながっていきます。
「歌が得意じゃなくてもコンテストに出てみたり、バスケもできないけど応募してみたり。高校に入ってからは放送委員会に入ったり文芸部に入ったりして、とにかく挑戦してみるタイプでした。でも自分の強みはなかなか見つからなかったですね」
まちづくりとの出会いが、視野を広げた
転機になったのは、高校時代に出会った「まちづくり」の世界でした。
インテリアや建築への興味から進路を考えていた川村さん。
花巻市の老舗デパートの再生に取り組んだ方のドキュメンタリーを観たのをきっかけに、「コミュニティやまちづくりの世界に入っていった」と言います。
「新しい建物をつくるだけじゃなくて、あるものを活かして街をつくるっていう考え方があるんだって知って。すごく面白いなと思いました。それで、その方にメッセージを送ってやりとりするうちに、リノベーションスクールがあるからその手伝いにこない?と誘ってもらいました」
そうやって高校3年生のときにボランティアとして参加したリノベーションスクールで見た光景が、価値観を大きく変えました。
「参加していたのが、主婦の方とか、普通に働いている方たちだったんです。でも、自分の街で何かやりたいって、本気で動いている皆さんで。空き家を借りてコミュニティの場所を作りたいとか、子供が安心して過ごせる場所を作りたいって。それまで、まちづくりって“すごい人がやるもの”だと思っていたんですけど、普通の人でもできるんだって思いました」
この体験が、「コミュニティ」や「地域」に関心を持つきっかけになりました。
「自分の知らない世界を見てみたい、こんなおしゃれな場所で働いてみたい、住んでみたいって思ったんだと思います。(自分の居場所を探していた?)激しく同意します!笑」
こうした体験を経て、川村さんはまちづくりを学べる東京都市大学都市生活学部に進学しました。
神山町で感じた「関わり続ける」という価値
大学時代には、各地の地域に足を運ぶ中で、徳島県神山町にも滞在しました。
「1ヶ月くらい滞在させてもらったんですけど、ただの“お客さん”じゃなくて、少しずつ関係の中に入っていける感覚があったんです」
最初はよそ者として訪れたはずが、時間を重ねるごとに関係性が変わっていく——その体験が印象に残っているといいます。
「帰るときに『また来てね』じゃなくて、『また帰ってきてね』って言ってもらえて。それがすごく嬉しくて。短い滞在でも、ちゃんと関係ってつくれるんだなって思いました」
この経験は、「関係人口」という考え方を実感として理解するきっかけにもなりました。
「住まなくても関われるし、関わり続けることもできる。そのグラデーションがあるのが面白いなと思いました」
大学3年生の時には、所属した研究室のご縁で、世田谷区尾山台のコミュニティスペース「タタタハウス」の運営にプロジェクトマネージャーとして関わりました。
「地域の人たちから褒めてもらえて、毎日行っていい場所があるっていうのが、自分の中で嬉しくて、タタタハウスでの活動に結構のめり込みました」
そのような経験を通して川村さんは「地域の仕事、まちづくりをしたい」と自らのキャリアを考えるようになったと言います。
金山町との出会いは“直感”だった
金山町との出会いは、前職で関わったことがきっかけでした。
「初めて来たとき、新庄からのバスで降りた瞬間に“いい町だな”って思ったんです。本当に直感でした」
人と会う前から、そう感じたといいます。
「街並みもきれいで、“ここ住みたい”って思いました。そのあと実際に見て回って、やっぱりいいなって」
特に印象的だったのが、人の距離感。
「外から来た人にも自然に接してくれて、疎外感がないんですよね。神山町で感じた空気感と少し似ているなと思いました」
さらに、役場の雰囲気も決め手の一つでした。
「ちゃんと話を聞いてくれる人たちだなっていうのが伝わってきて。ここなら挑戦しても大丈夫かもしれないと思いました」


地域おこし協力隊という選択
それでも地域おこし協力隊になる決断は簡単ではありませでした。
「正直、ずっと悩んでいました。本当に大丈夫かなって」
背中を押したのは、相談した方から掛けられたこんな言葉だったそうです。
“その選択を正解にするのは自分次第だよ”
「確かにそうだなって思って。それなら、自分で正解にしていこうって思いました」
最終的に決めたのは、「やっぱり地域で挑戦したい」という思いからでした。
「あと3年やってみて、それでダメだったらまちづくりとは別の道に行こうって。ある意味、最後の挑戦みたいな気持ちでした」
金山町の協力隊の“ちょっとユニーク”なところ
実際に着任して感じたのは、金山町の地域おこし協力隊の運用の柔軟さでした。
「もちろんミッションはあるんですけど、それだけに縛られすぎないというか。やりたいことを相談すると、一緒に考えてくれる環境があります」
行政主導でありながらも、個人の意思を尊重する雰囲気があるといいます。
「“それはダメ”っていうより、“どうやったらできるか考えよう”っていうスタンスなんですよね」
その環境が、新しい挑戦を後押ししています。
関係人口をつくる仕事の“中身”
地域おこし協力隊そしての主なミッションは、「関係人口の創出」。
「金山に関わる人を増やすっていうのが大きなテーマなんですけど、そのために何をするかは、結構自由度があるんです」
具体的には、ツアーの企画・運営から、情報発信、イベントづくりまで多岐にわたります。
「例えば、町外の人向けに金山を体験してもらうツアーを企画しています。実際に来てもらって、人と会ってもらって、空気感を感じてもらうことを大事にしています」
単なる観光ではなく、「人との関係性」をつくることが目的だと川村さんは言います。
「観光だと“楽しかったね”で終わってしまうことも多いんですけど、関係人口の場合は“また来たい”とか“関わり続けたい”って思ってもらうことが大事で」
そのために、地域の人との接点のつくり方を意識しているといいます。
「誰に会ってもらうかとか、どんな時間を過ごしてもらうかで、印象が全然変わるので」
“関わりしろ”をどうデザインするか
ツアーづくりで意識しているのは、「関わりしろ」を残すこと。
「全部用意しすぎないというか、参加した人が自分で関われる余白を残すようにしています」
例えば、地域の人と一緒に何かをする時間をつくったり、自由に話せる時間をあえて設けたり。
「受け身になりすぎないようにしたいなと思っていて。自分ごととして関われるほうが、記憶にも残るし、その後の関係にもつながる気がしていて」
この考え方は、これまで自分自身が「関わる側」として体験してきたことから来ているそうです。
都市と地域をつなぐ場づくり
町の外での活動にも力を入れています。
東京都市大学コミュニティマネジメント研究室の後輩達と連携して、タタタハウスで金山をPRするイベントを開催しています。
「金山のことを知らない人に知ってもらう入り口として、金山町のマルシェをやったりイベントに出店したりもしています。」
こうしたイベントでは、食や物産だけでなく人の魅力も伝えることを意識しています。
「モノだけじゃなくて、“誰がやっているか”も一緒に伝えたいなと思っていて」その場での出会いが、次の訪問につながることもあります。
「イベントで話した人が、後日ツアーに来てくれたりすることもあって。そういうつながりが少しずつ増えていくのが面白いです」




タタタハウスで連携する大学の後輩たちも、川村さんの働きかけにより金山町の関係人口になりつつある。大学生達に金山町に来てもらい、フィールドワークを経て「金山のお土産を考えてもらっている」。
東京や金山町を舞台に大学生との協働プロジェクトを企画・コーディネートすることで、場づくりの面でも変化があったといいます。
「最初は自分が居場所を探している側だったんですけど、だんだん“場をつくる側”に回っているなと実感することが増えました。どうしたら参加しやすいかとか、どうしたら楽しんでもらえるかとか、そういうことを考えるようになりました」
思いがけず始まった「本屋」という実験
川村さんの活動の中で特徴的なのが「本屋」の取り組みです。
「もともとやる予定じゃなかったんですけど、流れで始まったというか(笑)」
知人との会話をきっかけにイベントで本を並べたことからスタートした取り組みは、移動式本屋「かぷりば」の活動となって少しずつ広がっていきました。
「本をきっかけに人が集まったり、会話が生まれたりするのが面白くて」
単なる販売ではなく、「場」としての役割を感じているといいます。
「本屋って、何か用事がなくても来られる場所じゃないですか。そういう余白のある場所っていいなと思っています」
この取り組みもまた、「居場所」をテーマにした実践のひとつとなりました。


金山町の協力隊は“委託型”という選択肢も
こうした自由度の高い活動を支えているのが、金山町の地域おこし協力隊の運用の仕組みです。
特徴的なのが、「委託型」という任用の形。
「雇用されるというよりは、業務を委託される形なので、自分で事業をつくっていく感覚に近いです」
地方自治体の会計年度任用職員として任用される一般的な協力隊員であれば勤務時間や業務内容が細かく決まっていることが多い一方、金山町の委託型任用であればある程度自分で設計できる余地があります。
「もちろんミッションはあるんですけど、その達成の仕方は任されている部分が大きくて」でもその分、主体性が求められる環境でもあると川村さんは言います。
「何をやるかを自分で考えないといけないので、最初は大変だと思います。でも、その分やりがいも大きいです」
また、行政との距離の近さも特徴のひとつです。
「相談するとちゃんと一緒に考えてくれるので、“一人でやっている”感じではないです」
「どうやったらできるか」を一緒に考える環境
実際に活動する中で感じているのは、挑戦を後押ししてくれる空気です。
「“それは難しいね”で終わるんじゃなくて、“どうやったらできるか考えよう”っていうスタンスなんです」
その姿勢が、新しい取り組みを生みやすくしています。
「本屋もそうですし、やってみたいことを相談すると、ちゃんと向き合ってくれるのがありがたいです」
この環境があるからこそ、「試してみる」ことができるといいます。
「居場所をつくる側」に
これまでの経験を振り返りながら、川村さんはこう話します。
「ずっと自分の居場所を探してきた感じがあるんですけど、今は少しずつ“つくる側”になってきたのかなと思っています」
徳島県神山町で感じたこと、大学生時代の地域との関わり、そして今の活動。
それらが少しずつつながり、現在のスタイルが形づくられてきました。
「自分が過去に感じてきたことを今度は誰かに返していく、みたいな感覚に近いかもしれないです」
協力隊卒業後のイメージについて訊くと、川村さんはこう答えてくれました。
「大学生の時に研究していた神山町のコミュニティスペースには、必ず地元の人もいて地元の情報がすぐに知れて、じゃあ温泉行ってみようとか、あのお店行ってみようとか、なんならアテンドしてあげるよとかって。そこには町の広がりがあったんですよ。たった3日間だけでも広がりがあるような場所で。なんとかしてそういう拠点を金山に作れないかなって思っています」
「それと、自分のこれまでを振り返ると、コミュニティに興味を持った根幹に、小学生中学生の行く場所のなさとか田舎と都会の経験の差とか、そういうところがやっぱり自分の実体験としても引っかかっていたということがあって、金山の子供たちがいろんな大人と関われるとか、いろんな経験ができるような機会を創れたらって思っています」


最後に、川村さんにとって金山町とは?
「自分が暮らしてて実感するのは、豊かに暮らせているなってことです。食も自然も豊かだし、町の人たちも優しくしてくれます。温泉があって静かだし、のんびり過ごすこともできる。あと、今の仕事で自分が社会の役に立ててるなっていう実感を得ている豊かさもあります」
編集後記
インタビューしていて気付いたのは、川村さんは何かアクションを始める前の準備を徹底されているということでした。移住先を検討する際はご自身の物差しでしっかり見極めてから決断されていたようでしたし、協力隊に着任したばかりの頃、誰に言われたわけでもなく事業のおおよその計画書を自分でまとめて担当者にプレゼンされたりしたそうです。
失敗しないように、事前に考え得るリスクは全てつぶしてからようやく第一歩を踏み出す姿が見えてきます。活動の様子を遠くから見ていて、大胆な展開をされていて頑張っているなと思っていましたが、実はそこには深慮遠謀な戦略家の川村さんが居ました。
それでも、移動式本屋を始めるなど、偶然や流れに身を任せ、地域の実情にあわせて動く柔軟な姿勢にも気づかされました。
自分の居場所として見つけた金山町で、これからもご自身や町の人、町外の人の町との関わり代をどんどん開いていって欲しいなと願っています。


岩手県盛岡市出身。東京都市大学卒。新卒2年目で金山町に移住し、地域おこし協力隊に着任。関係人口の創出をミッションに活動。書店のない町で移動式本屋「かぷりば」を運営し、本を通じた交流拠点づくりにも取り組んでいる。
取材日:2025年7月22日
取材場所:金山町街角交流施設「マルコの蔵」、大堰公園
聞き手:梶村勢至
写真撮影:梶村勢至
写真提供:川村佳恵
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