“人に喜んでもらうことをしたい”と関係人口づくりにチャレンジ!|石塚崇さん(新庄市地域おこし協力隊)

石塚さんのコーディネーションで最上地域でいち早く「おてつたび」を導入した事業者のひとつが、真室川町で伝承野菜の甚五右ヱ門芋(里芋)を栽培し、新庄市昭和で無農薬のリンゴを栽培する佐藤春樹さんでした。春樹さんは新しい「おてつびと」を迎えるたびに芋煮会を催していて、その都度誘ってくれたことから筆者も石塚さんやおてつびと達との交流を楽しんできました。
その時の石塚さんはとにかくおてつびととの出会いや交流を楽しんでいる様子で、終始ニコニコされているのが印象的でした。3年の任期の終了を間近に控えた2月、石塚さんにこれまでの活動についてお話をうかがいました。

エコロジーガーデンでお話しを伺いました

新庄市の地域おこし協力隊になられた経緯を教えてください。

高校卒業後に就職したんですが、職種というより場所で選びました。憧れのあった仙台市に住みたくてカメラを販売する仕事に就きました。その後補聴器メーカーに移り山形全域を担当して、眼鏡店さんの販売イベントで新庄や金山にも来ていました。

福島の郡山に直営店を作ることになって志願して赴任したんですが、その半年後に起きたのが東日本大震災です。お店も半倒壊してしまって会社から自宅待機を命じられて仙台でやることなくってぼーっとしてたんですが、妻に勧められて石巻市と南三陸町で生まれて初めてボランティアをしました。

その後、会社の方針もあって北海道で1年間、東京本社で5年間仕事をしたんですが、東京の5年間は楽しかったですね。大学生と遊んだんですよ。ボランティアやって。

(ボランティアというのはどんな?)

ゴミ拾いのボランティアです。

Yahooでボランティアを検索したらたまたま渋谷でゴミ拾いしている団体ですって出てきたので、行ってみたら全員大学生で。それでもみんな優しく迎えてくれて、そのうちハードロックカフェに連れてってくれたりとか!(笑)

そうやって彼らと付き合っているうちに、都会の人たちを東北に引っ張ってこれないかな、移住させるにはどうしたらいいかなって考えるようになったんですよ。

(なんでそういう風に思ったんですか?)

東日本大震災の経験があったからですね。

特にボランティアで泥さらいしたり、写真の洗浄を経験したことで世界観が変わったんだと思います。ただでさえ東北は人口が少ないのにこれでますます東北から人が減ってしまうんじゃないかって、まずいよなって実感していました。それなのに、俺は東京で楽しくはしゃいでいていいのかなっていう思いもあって。地震で大変な想いをしている人がいっぱいいるのにって。

ういうこともあって、東京の人を東北に引っ張って人口を増やしたいなっていうのはあって、でもそう簡単に移住はしないだろうし人口なんか増えるわけないので、なにかきっかけを作りたいなって思っていました。

それで、ゴミ拾いのボランティア団体のトップの女性が、震災の時に大船渡でボランティアをしたことがあるって分かって、東北いいですよねっていう話しをしてたんです。それで、大学生を東北に連れて行きたいんだという話をしたところ、一緒に企画してやりましょうとなったんですよ。

(どんな企画だったんですか?)

北千住浅草から東武線1本で南会津まで行けちゃうので、東北ナビという名称で、南会津に1泊2日して農業ボランティアする内容で4回開催しました。

その時、これを自分の生業にできないかなって考えたこともあったんですよ。東北っていいねって言ってくれるのも分かったし。でもまだ子どもも小さかったので無理だなって。

勤めていた補聴器メーカーの会社は、私を東北に返してくれることはないだろうなって分かったということもあって、そこを辞めて仙台に帰ってきました。その頃、ネットで「おてつたび」って会社が立ち上がったっていうのを知って、なんか俺がやりたいのこれだったんだよな。やっぱ同じこと考えてる人がいて、ビジネス化がちゃんとできる人いるんだなって思ってたんですよ。

(東京に行ってやりたいことを見つけたけど、仙台に帰ってこられたんですね)

仙台に帰ってから2社ほど勤めたんですが馴染めなくて、そんな時にふと東京時代にやった東北ナビをやりたいなって思って。だったら、おてつたびの仕組みをそのまま使えば、なにも苦労することなく東北に人を引っ張ってこれるんじゃないかなって思いました。

じゃあ、おてつたびの仕組みを使って人を呼び込めるようなことをさせてくれる仕事ってなんだろうから考えていって地域おこし協力隊に結びつきました。このミッションをやらせてくれる山形の市町村ってどこなんだろうって探していて、新庄市だったわけです。

(やっとたどり着きましたね!)

新庄市は、その補聴器メーカにいた時に補聴器体験会を年に2回開催させてもらっていて街の様子も知っていたし、あけぼの町にも連れてってもらっていて、すごいいい印象があったんですよね。

新庄市エコロジーガーデン「原蚕の杜」は旧農林省の蚕業試験場の歴史ある建物群(国の有形文化財に指定)で構成され、農産物直売所やカフェが営業しているほか、kitokitoマルシェが開催されています。2025年秋には道の駅としての開業を控えています。

石塚さんがエントリーされた新庄市の協力隊の募集について教えてください

募集内容が都市と田舎の交流促進事業っていうことで、エコロジーガーデンの景観を活かして交流を生み出すという内容でした。私はおてつたびの枠組みが合うんじゃないのかなと思ってエントリーしました。

初年度は私の前任の協力隊員から引き継ぐかたちでエコロジーガーデンの施設管理の仕事と掛け持ちしていたのと、新しいことに慎重な方が多いこともあって、おてつたびを導入してくださる事業所がなかなか開拓できなかったんですよね。

それでも、最初に新庄市のニューグランドホテルさんが引き受けてくださって、春樹さんのところでもいっぱいおてつびとを呼んでくれて山形新聞にも載ったのをきっかけに、風向きが変わったように思います。

(2年目からはおてつたびの導入支援に専念できたんですか)

はいそうです。

その他には、毎週日曜日に無料の撮影会をエコロジーガーデンでやってました。

カメラの販売をやってたこともあって写真を撮るのがずっと好きで。エコロジーガーデンのインスタグラムで募集して、撮影した写真は新庄市で使うことがあることを前提に、無料で撮ってきました。

3年前からずっと来てくれている家族もいて、子どもの成長のこととか色んな話をするじゃないですか。そうやってお話しできる関係が築けていることや、「石塚さんに撮ってもらってよかった」って言ってもらえることもあって、自己満ですけど嬉しいですよね。

無料撮影会の様子

(新庄市の地域おこし協力隊員は、ミッションによって所属先が分かれているんですよね?)

私は商工観光課に所属しました。

商工観光課は笑い声もあって、ノリがいいですね。
あっいいんじゃない、面白そうだねって。やってみようよって、すごく助けてもらいました。

新庄市内の事業所さんでおてつたびに関心もってくださったところでも、宿泊場所を用意することが難しいっていうことが多かったんですが、商工観光課は私の活動費で賄ってもいいよと言ってくださったんですよね。色々と知恵を絞ってくださって、そうやって協力してもらえなかったら新庄でおてつたびは出来なかったと思います。

話が逸れますけど、おてつたびで誰が得するかって、私は各自治体だと思うんですよね。だって、まるっきりご縁のなかった人たちが来てくれて、勝手にSNSでPRまでしてくれるんですよ。

受け入れ事業者さんはバイト代の他に手数料の負担があるし、交流会するならそれも負担するわけでしょ。経済的な効率だけ考えたらデイワーク使った方がいいんです。

(でもね、やっぱり来るきっかけ、ファンになるきっかけとしては効率は悪いかもしれないけど、こういう知名度の低い地域だから、広く浅くじゃなくって深く繋がれる機会としてすごく意味があると思います)

私、おてつびとの皆さんにアンケート取ってるんです。
それによると新庄最上地域を選んだ理由はみんなシンプル。東北に一度も行ったことがなくて、でも行く理由がなくて機会を探していたって。

だから東北に行くきっかけとお金さえあれば、こうやって来てくれるんだなっていうのをすごい実感しました。そういう人は、山形だったらどこでもいいってことだし、別に東北だったらどこでもいいんですよね。新庄って聞いたことないけどまぁいっかっていうノリで。

それで山形や新庄最上が好きになって帰っていってくれるんだったら嬉しいですよね。

おてつびと達と楽しんだ交流会の様子

(石塚さんの導入支援によって、最上地域には何人のおてつびとが来てくれたんですか?)

3年間で253人です。

令和4年度に22人、令和5年度は120人、令和6年度は111人が来てくれました。

そのうち2人が東北に移住されたのですが、一人は金山町に、もう一人は車の好きな人でサーキットのある宮城県柴田町に移住されました。

受け入れ先は登録だけしているところを含めると32事業所で、受け入れ実績があるのは24事業所になりました。

(石塚さんがきっかけで実際に移住された方がいるのは凄いですね!)

雪国は移住するにはやっぱりハードルが高いと思います。

それでも、私の中ではこういう関係人口をつくれば、100人に1人くらいは移住してくれるんだって計算はなんとなくできました。でも、まだ分からないですからね、何年後かに移住してくる人もいるかもしれないですし。

実際に東北に2人移住してくれて、人の人生を少し私がきっかけをつくって良い方向に変えたとか、本人の選択肢の幅を広げることができたと思うと嬉しいですよ。やったかいがあったなって。

あと、おてつたびのレビュー見るのもすごい嬉しいし楽しみでした。

(おてつたび先で心を動かされるような体験する人も多いみたいですよね)

新庄最上地域に来ても結局山形として見てるんですよ。山形はいいって思って帰っていってくれるのがやっぱりいいですよ。

なんかこれが私のやりがいでしたね。レビュー見るの。

(答え合わせ的な感じなのかな?)

やっててよかったな、報われるなって。自己満足の世界ですけどね。

でも結局はお金にならないことやってたんだなって思いますね。
それがわかっててやってたんですけど。

任期終了後のことはもう決まっているんですか?

実家のある山形市に引っ越すことだけは決まりました。

仕事はまだ決まってないんですが、福祉介護の仕事を探しています。

この歳になって仕事を選べる枠が少ないっていうのももちろんありますけど、人に喜んでもらうことやりたいなっていうことと、私の故郷ということもあって山形市に引っ越します。

旅先での地元の人との交流もきっと思い出に残ることでしょう。また来てくださいね。

東北に人を呼び込む活動はどうされるんですか。
山形市から何かしら仕掛けるんですか?

まずは新しい仕事を覚えることですね。

でもこの、なんか仕掛けるっていうこの炎は消えないと思う。
だって楽しいもん。何か周りの人が喜んでもらうことをやりたいし、山形と県外は繋げたいっていうこの炎は消えないと思う。

(なんで消えないのかな?)

味しめたんでしょ。新庄で楽しい思いをいっぱいしたんですよ。

春樹さんとこの芋煮会も楽しかったもん。
そこに、ゲストで梶村さんとかがひょこっと来て、即興のコントじゃないけど、なんかあの感じはやっぱ楽しかった。

やっぱり周りの人が楽しそうにしてる顔を見るのが私は好き。


編集後記

周りの人が楽しそうにしている様子を見るのが好きという石塚さんの言葉が印象的でした。

地域おこし協力隊の任期終了後は新庄市を出られる決断をされましたが、人に喜んでもらうことをしたいとの気持ちは変えずに新しいチャレンジをされるということに、自分の気持ちに正直に生きる清々しさを感じました。

新庄市での3年間の経験がいつかまた新しい仕掛けとなって、東北・山形・新庄に新しい人々を呼び込んでもらえそうですね。

石塚さんの3年間の取組みが、最上地域の関係人口づくりの火種となってポジティブな影響を与え続けてくれることを願っています。いつか答え合わせできるといいですね。



石塚 崇さん

山形市出身。高校卒業後仙台で就職し、以後転勤で北海道、福島、東京で居住。2022年新庄市に移住し、地域おこし協力隊に着任。新庄市内はもとより最上地域内の事業者に対し、おてつたびの導入を提案・支援し、関係人口の創出にチャレンジされました。


取材日:2025年2月20日
取材場所:新庄エコロジーガーデン
聞き手:梶村勢至
写真撮影:梶村勢至
写真提供:石塚崇

新庄市エコロジーガーデン(GoogleMap)

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この記事を書いた人

最上暮らし連携推進員の梶村です。
滋賀県出身で真室川暮らしが11年目の移住者です。地域おこし協力隊の後輩と起業し、真室川町の移住推進業務に取り組むほか、2023年から町の食材にこだわった手づくりおはぎのお店も始めました。
季節ごとに山菜採りや渓流釣り、蛍狩り、雪板を楽しんでいます。

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