編集者が嫁入り移住で見つけた、地域の宝と暮らし。|山﨑 香菜子さん(最上町)

結婚を機に最上町に移住して以来、はけごのブランディング、途絶えていた地域伝来の嫁入り行事「むかさり行列」の復活、出産と育児、地域編集室の開業、個人経営による複合施設une(うね)のオープン、初当選で臨む町議会議員としての活動とパワフルに動かれている山﨑さんにお話しを伺いました。

2011年の大震災をきっかけに東京からの移住を考えていたときに、やっぱり東北に戻りたいという想いがあり2012年に山形市に移住しました。

もっと田舎で、おばあちゃんたちの話を聴きながら小さな地域編集室を営みたいという夢があったのですが、地域とつながる機会をなかなか持てずにいました。唯一東北芸術工科大学に勤めていた時に大蔵村とのご縁があって、こういうところもいいなと思いました。ただ、ポンと移住して起業しても、すぐすぐお金を稼いで生活できるイメージもなくモヤモヤしていた時に、結婚すれば地域に入っていきやすいのかなぁとちょっと意識はしていました(笑)。

それで、たまたま同じ大蔵村なのですが、肘折国際音楽祭のボランティアに参加したときに出会ったのが最上町から来ていた今の夫です。

いよいよ結婚ということになったときに、最上町が地域おこし協力隊を募集しているのを知り、募集内容がフリーミッションだったので3年かけて編集室を立ち上げる準備もできそうだなと。2017年に最上町に移住し、地域おこし協力隊に着任しました。

uneの事務所にて

結婚するまでは最上町のことをほとんど知りませんでした。移住してきたばかりの頃は田舎特有の閉塞感みたいなのはちょっと感じたかもしれないですね。でも、そのなかに面白いものを探していこうと思って。最初の出会いは、沢原はけごの会のお母さん達でした。

-ここではけごの会が出てくるんですね

10人くらいのお母さんたちが公民館に集まっていて、一緒に作るというよりもお茶飲みしながら自分たちが作ったものを持ち寄っておしゃべりする時間が多かったかな。

私はそこで最上町のことを知っていきました。はけごを編む理由を訊くと「冬も長くて辛いし、お父さんも亡くなって悲しいけど、これを編んでいるときは忘れられるんだぁ」という話をしてくれて、あぁ、この町の女性はそうやって自分の暮らしを少しでも前に進めようと動いているんだなぁと感じたのをすごく覚えています。

uneで展示販売しているはけご。従来は農作業の収穫籠などに使うはけごをバッグ風にアレンジしている。

-はけごのブランディングに取り組まれていったわけですが、それも山﨑さんの言う『地域編集』だったのでしょうか?

そうですね。地域の埋もれていた資源を見つけてブランディングしたわけですが、モノとしてだけじゃなくて、今まで外に出ることのなかったお母さん達が対面販売で購入者と交流したりして最上町のお母さん達の面白さを伝えることも出来ています。また、新しく若い女性たちが入って来て世代間の交流に繋がっています。そういう風に、モノを起点に色々発展してくことが出来ているなと思っています。

-話を少し戻しますが、はけごの会のお母さんたちを通して町のことを知っていかれたということでした。人付き合いの方はどうでしたか?

地域おこし協力隊時代は、はけごの会のお母さんたち以外の方と繋がる機会は少なかったんです。町外から嫁いでくると、子どもを産まない限り同世代の女性と繋がる機会も少なくて。

出産してからも、意外と人見知りなので支援センターに行っても隅っこの方で子どもとふたりで遊んでばかりで。それでも、しばらくすると声をかけてくれるママさんが一人ふたりと増えて。すぐに相談できる友達が近くにいるのは凄く支えになりました。

-育児休暇が明けてから、復帰した地域おこし協力隊ではどんな活動をされたのですか?

育児休暇から復帰した時にコロナ禍が始まって、それまでのような活動ができなくなりました。そんな時に『小報もがみ』を思いついたんです。本当にやりたかったこと、「編集」を勇気を出してやってみようと。

小報もがみは、特に町外に向けて発信したいわけじゃなくて、まずは自分が町を知りたいというのと、最上町の人に最上町のことをあたらめて知って欲しくて始めました。頑張っている人から勇気をもらって、そこから何かまた新しいことが始まるきっかけになれたらいいなと思って。「うちの町には何もない」とよく言われますが、そんなことはないのだと証明したかったというのもあったかな。

-小報もがみで出来た繋がりから見えてきたものはありますか?

取材で出会った人との交流を通して、別に田舎だからといって何かがなきゃいけないってことはないなって思ったんです。ただ豊かに暮らしていければいいんだって。

うちの町が何か目立たなきゃとか、そういう呪縛から放たれたように思います。すると気持ちが楽になって、風通しのいい人との繋がりがあって子育てが出来て、仕事があって暮らしていければそれが一番いいなって思ったんです。

半世紀ぶりに復活させた嫁入り行事「むさかり行列」での1コマ

-uneはまず場所があって始まったの?

協力隊の最終年度になって、いよいよ起業に向けて動き出そうという段階で、小さな小屋みたいなところで地域編集室をオープンしようと考えていたんです。ところが、地元の方からここ(une)を何とか活かして欲しいって言われたときにイメージが湧いちゃったんですよね。当初より、もっと広がりのあることができるんじゃないかって思ったし、元々いい建物だと思っていたので。お金もかかることなので途中でやっぱりやめようかなと思いながらも、イメージした風景が見たくてはじめちゃったんですよね。

uneには、「新たな暮らしのうねりを生み出し、最上町を知り、好きになるきっかけになる場所になって欲しい」って想いを込めています。

複合施設uneの外観

-イメージは人が集まる交流拠点?

コワーキングやワーケーションの需要を取り込みたいですし、関係人口が生まれる場所、子どもがさまざまな大人に関われる場所、多世代が関わりをもてる場所を目指しています。

私が行う『地域編集』というのは、地域が持つ潜在的な魅力を、文章やさまざまな手法で発信していくこと。uneの運営も地域編集のひとつです。地域や人の魅力が集い、発信していく場所にしていきたいです。

いざオープンしてみると、意外と子どもの遊び場利用が一番多かったんです。
自然とお母さんたちと子育ての悩みとか話しているうちに、最上町には女性の議員がいないよねって話になったりして。前々から町議選に出ないかって言われていたこともあって、やるなら子育ての当事者である今が一番いいのなかって。子育て世代の声を拾いやすいですし。

で、何足目かの草鞋を履いてしまいました。

昔の公民館のように大人も子どもも一緒に映画を観るイベントの様子

-遊びに来ていた子どものお母さん達との話の中で、町をどうしたいとか、こんなことに困っているなどの話が出ていたのですか?

些細なことですが、学童に入りたくても家庭の状況で入れないとか、給食の量は足りているのだろうかとか。もっとこうだったら子育てしやすいのにという声も聞こえてきました。そういうことを言える機会、言える場所がなかなかなかったようです。

それに、嫁いできた女性は家事育児が当然で、介護を担う人も多いですよね。男性よりも社会の中で大変な思いに直面することが多い存在で、出産は特に一大事。そういうことを経験している人の声が町に届いていないのはどうだろうっていうのは自分のなかで問題意識として持っていました。

-実際に議員になってみてどうでしたか?

現職の方も新人の方も、真剣に町のことを考えていることを知りました。議員は町民の想いを編集して町政に届ける、まさに「地域編集」の仕事だと思っています。今まで出会えなかった方とお話する機会も増えて、さらに最上町での暮らしが楽しくなりました。

山﨑さんお気に入りの最上の風景

-最上町から事業委託されて移住定住コーディネーターをされていますね?

私自身の移住経験を活かした本当に必要なサポートを心がけています。相談者が来たら全力で町をご案内しますし、移住後も楽しく暮らせるようなサポートをさせていただきます。

ただ、移住に失敗しないためにも自立していける計画をしっかり立ててくることが大事だと思います。計画的に1,2年かけて何度も来ていただいて、最上町を知ったうえで移住して下さるのがご本人にとっても一番いいかと思います。一人ひとりの大切な人生ですので安易に「来てください」とは言えません。

私のように嫁いだものの地域に馴染めないということもあるので、そんな時はぜひuneを訪ねていただければと思います。

-移住者や移住を考えている人が来た時に、山﨑さんだったらどこを案内しますか?

最近は人に会ってもらっています。

先日ご案内した時も、ぐるぐると町内を適当に車を走らせて、たまたまそこにいた知り合いを見つけては車を停めて話しかけるということをしました。その辺のおばちゃんとか。すると会う人会う人「よく来てけったなぁ」みたいな感じで歓迎してくれて、「町のことも、人柄も知れた」と満足していただきました。

-どんな方に会えたんですか?

人と交流するのが好きで、ご自身でアスパラガスの収穫体験イベントをやってしまうアスパラ農家さんに会うことができました。他にも、冒険家の大場満郎さんからはご自身の冒険の体験談を話してもらい、小報もがみでお世話になった酪農家さんには搾りたての牛乳を飲ませてもらいました。

そんな風に、最上町での暮らしを知れるようなご案内ができたと思います。

何気ない日常の風景

-お住いの町の魅力を教えてください

温泉が豊富に湧いていることですね。最上町には瀬見・赤倉・大堀の三つの温泉地のほかにも、数カ所に温泉施設があります。しかも温泉として利用されなくなった旧琵琶の沢温泉は地熱発電で活用されようとしています。

最上町はゼロカーボンシティ宣言をし、地産地消エネルギーを推進していて、森林資源をうまく循環させています。伐った木は、建材以外にもチップにしたりペレットにしたりと無駄なく利用できていて、そういう森林資源にこれから水力、地熱、太陽光を組み合わせていこうと動き出しているんです。

そんな風に、未来にこの町を残していくために大人が考えて動き出しています。それが子ども達にもちゃんと伝わっているなと感じることがあるんですよ。だからこのポジティブな状況を維持発展させていきたいですよね。

これから確実に人口は減るだろうけど、それでも暮らしやすくなるように、様々な技術やアイデアで地域にある資源を活用し、地域課題の解決に繋がっていくように、みんなで考えてみんなでつくっていく町にしていきたいですね。

 いつか田舎で小さな編集室をつくるというビジョンを持っていた山﨑さん。結婚を機に移住した最上町で、その実現に向けたチャレンジが始まりました。
 今回のインタビューを通して気づかされたのは、ご家族を得たことで動き出したライフステージの変化や地域の人たちとの交流が町への理解を深め、人間関係を豊かにし、新しい視座を与え、山﨑さんご自身がどんどん成長されてきたということです。そこには最上町での何気ない日常のなかで触れ合った人たちとのささやかな小さな交感の積み重ねが必要だったんだろうなということと、そうしたものを漏らさずに掬い取ろうとする編集者としての気概や眼差しがあったからなのだろうかとも思いました。
 移住して地域に入っていくときに欠かせないもの、その移住をより豊かなものにするポイントのひとつは、その地域だったり暮らしや文化に対するリスペクトなのではないかと思っています。そんな風にリスペクトできるものが見つかると、その地域への愛着がグンと増しますね。
 お嫁さんとして移住して来て寂しいこともあったと打ち明けてくれた山﨑さん。同じように感じている方も、地域の中で面白いものを探すコツを教えて欲しい方も、赤倉のuneに山﨑さんを訪ねてみてはいかがでしょうか。

取材日:2023年12月11日
聞き手:梶村勢至(最上暮らし連携推進員)


山﨑 香菜子

宮城県白石市出身。多摩美術大学卒業後、日本橋のタウン情報誌の編集等を経験。東日本大震災を機に東北に戻り、東北芸術工科大学等で勤務。2017年、結婚を機に最上町に移住し地域おこし協力隊に着任。2021年に赤倉編集室の屋号で開業。2022年に個人経営の複合施設uneをオープン。最上町移住定住コーディネーター。2023年より最上町議会議員。


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この記事を書いた人

最上暮らし連携推進員の梶村です。
滋賀県出身で真室川暮らしが9年目の移住者です。地域おこし協力隊の後輩と起業し、真室川町の移住推進業務に取り組むほか、2023年から町の食材にこだわった手づくりおはぎのお店も始めました。
季節ごとに山菜採りや渓流釣り、蛍狩り、雪板を楽しんでいます。

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