甲州剛さんは、廃校の利活用を伴う新規事業の責任者として赴任するかたちで2016年に舟形町に移住されました。町役場と連携・協働して行うIT普及の活動も働き方もとてもユニークです。舟形町での移住の経験や働き方などお聞きしました。
-リングロー株式会社が舟形町の旧長沢小学校に拠点を構えることになったいきさつ教えてください
弊社が扱っている中古パソコンを個人向けに販売していくにはどういうチャネルがあるのか検討しているなかで、どうやら文部科学省が「みんなの廃校プロジェクト」っていうのをやってるみたいだよって話になったんです。使われなくなったパソコンをリユースして還元していくっていう自分たちの会社のありかたと、使われなくなった廃校を新しいかたちで利用して色んな人と関わりながら地域活性していくっていうのは親和性があるねっていうことで、学校探しを始めたのが私たちの「おかえり集学校」プロジェクトのスタートでした。
色んな廃校を見学させてもらったのですが、いざ「IT交流施設」として借りようとするとそういった活用事例が一切ないというのがハードルになりました。
-IT交流施設として使いたい、借りたいっていう提案だったんですね
そうなんです。スマホやパソコンのことで困ったときに、そこに行けば教えてくれる、解決する場所にしたいというのと、これからのデジタル化を進めていくときのサポート拠点にしていきたいっていう話しをしていました。
ただ「前例がないからちょっと」という反応ばかりだったときに、舟形町の前町長が興味を示して下さったんです。本社にまで訪ねてきて下さって、「そういったものがあった方がいいんじゃないか」って進めていただいて。
現町長も「絶対に必要になるから」と後押ししてくださって、あとはもう町民が理解してくれるかどうかだなということで、町民説明会を2回開かせていただきました。
-とっても丁寧ですね!
地元の方の協力が得られないとプロジェクトが始まらないというのは分かっていましたから。説明会では、壊れたパソコンやゴミを捨てにくるんじゃないかとか、どうやって利益を出していくつもりなのかとか色々仰っていただきました。様々お答えして、最終的には「言ってることの半分も分からないけど、そこまで言うならとりあえずやってみたらいいんじゃない」って言ってもらってようやく舟形町で集学校を開設できることになりました。
私自身は、開校する半年くらい前に単身で舟形町に入りまして、立上げ準備を始めました。
-その時は、甲州さんとしては転勤っていうイメージだったんですか?それとも移住だったんでしょうか?
移住っていうか帰ってくるっていうイメージでした。いい歳になったし長男だし、そろそろ実家に帰らなきゃいけないよなぁって考えもあって、社長とも将来的にはリングローを辞めて山形に帰るつもりだと話していたところだったんです。
そしたらあれよあれよと「舟形に決まったから!」ってなって、私も「じゃぁ行きます」って。会社を辞めなくて済みましたし、すごいラッキーなことが重なった移住でした。
-お住まいとご近所づきあいについて教えてください
最初は山形市の実家から通っていたんですけど、さすがに冬は無理だろうということで、舟形には空いてるアパートがなかったので役場に空き家を探してもらいました。
空き家に入ってからは、町内会の掃除とか集まりにも参加しています。やっぱりそこに住むとなると人との関わりは少なからずやらないと難しいじゃないですか。
消防団にも入っています。自分の場合は色んな人と関わっていくっていうのが仕事のひとつだと思っているので、入ることには全然抵抗はなかったですね。やってみると意外と楽しいですよ。
-移り住んだばかりの舟形町で集学校プロジェクトはスムーズに展開できましたか?
パソコンのことならなんでも教えますよっていうかたちでやっていても、結局はお客様は来ないじゃないですか。最初は町の地域おこし協力隊員に色んなところに連れて行ってもらって、地区の集まりだったり有名な人たちに顔合わせしてもらって、開設予定の集学校の説明をしつつ、舟形のことをみんなに教えてもらったりしましたね。
協力隊の彼からは地域に溶け込むためのアドバイスを色々してもらいました。結局、地域に溶け込むっていうのはひとりだけでは難しかったですよね。
-甲州さんの集学校での肩書きは校長ですが、役場の方にも肩書き、執務席をお持ちなんですよね?
デジタル活用支援員の肩書きをいただいています。舟形町には会計年度任用職員として任用いただいて、企業版ふるさと納税で会社が納めさせていただいたものから自分の給料が出ているかたちになります。他にも地域活性化企業人っていう枠も提案させていただいて、専門的な活動を展開させてもらっています。
-集学校はIT交流施設としてスタートされたということですが、具体的にはどういうことをされているのですか?
始めた頃は、高齢者のスマートフォンの普及率ってすごい低かったんです。そんな人たちがLINEをしたりインターネットショッピングを楽しむ未来が必ず来るだろうなっていうのがあったので、これから始めようという方たちが自分のやりたいことを訊ける場所にしようと始めました。
最初は教室もやったんですが、「じゃぁ今日はワードを覚えましょう」って言っても興味のない方にはただただ苦痛な時間になってしまうんですよね。なので、年賀状を作りたいとか、家計簿を作りたいとか、その人がやりたいことをピンポイントで教えるっていうことをしています。
-それはお金を取らずに?
お金はいただいていません。「教えて」って来られて自分で覚えようという方には無料で教えますが、「やって」って作業を依頼される場合はお仕事としてやらしてもらっています。
-そうやって高齢者の方でもITへの距離感が近くなったなって実感することありますか?
ありますね。スマホを持ってなかった方が中古のスマホを買ってくださって、ラインもフェイスブックも使いこなすようになったら「次はパソコンもやってみようかな」って使いこなされていく方もいらっしゃいます。そういうのを見ていると少しずつでも皆覚えていってくれているなって実感しています。結局はやる場所、必要性がなかったからスマホやパソコンを敬遠しているだけなんだと思います。
コロナもあって、離れた人と連絡を取るときにスマホがあると便利だよ、LINEで写真も送れるしテレビ電話もできるよっていうのが広まって、これから始めようという方が増えましたね。
-振込み詐欺とかウイルスもあって、怖いっていうイメージもありますよね
そういう不安って本当に多くて、でもここはそういったものを解消できる場所として使ってもらえるんじゃないかと思います。実際、こんなメール来たんだけどとか、警告音が鳴ってとか、ショートメールで「おめでとうございます!100万円当選しました」って書いて寄こしたんだけどって相談が普通にあります。テレビとか警察の駐在さんとかも注意喚起してくれますけども、私たちは「あっ、それ詐欺ですよ」ってすぐ教えられるので。
-IT化って急激に進んでいますが、人口減少の進む地方でも必要ですよね?
絶対に必要だと思います。高齢者だけの世帯って結構あるじゃないですか。安否確認の点でもデジタルは使った方がいいと思います。
それに、人が減って町内会の連絡だったり集まりだったりが難しくなっていきます。舟形町には複数の町内会が集まった「連合町内会」がありまして、そこへのIT支援を始めました。これまでマンパワー、人の力でやっていたものを、ITを少しずつでも使いながらっていうのは必要になってくると思うんですよね。
-長沢集学校をこれからどんな場所にしていきたいか、どんな挑戦を考えているか教えていただけますか?
今度、新庄市に東北農林専門職大学ができるじゃないですか、その大学生たちが集まれる場所、遊んだりアルバイトしたりっていう場所にできたらなと思っています。大学生だけじゃなくて、色んな世代の人が交流できる場所、地元の人たちと地域外の人たちが交流できる場所にしたいですね。
それと、舟形町役場のデジタル活用推進員として活動させてもらっていますが、最上郡内の他の自治体にも広げていきたいなと考えています。真室川町と戸沢村の小中学校にはICT支援で行かせていただいていますし、大蔵村と鮭川村と、舟形町ではスマホ教室をやらせてもらっています。長沢集学校での経験から必要にしている方がまだまだ沢山いらっしゃると感じています。
舟形で始まった集学校ですが、今は全国22校に増え、2025年までに各都道府県に1校ずつ開校することを目標としています。
-舟形での集学校の運営方針というか、大事にしていることはありますか?
IT会社といっても、仕事のスタートはコミュニケーションをとることだと思っています。スタートというかゴールもそこだと思うんですよね。うちの会社の考え方は、知らない人から好き好んで物を買わないよねっていうことなんです。そうじゃなくて、「この人が紹介するなら買おう」とか、「この人が言うんだから大丈夫だね」っていうことで買ってくださるお客様もいらっしゃいますよね。
そういった意味で、お客様と仲良くなったりとか、「こないだこんなこと言ってたけど、それだとこういうこと必要なんじゃない?」って提案して買ってもらうのが私たちの商売です。
-そこが面白いですよね。それこそ情報化社会だと、検索して一番安いところとか、レビューがいいところを探して購入するじゃないですか。でもそうじゃないところ、人とのコミュニケーションが仕事だしゴールだって仰っていたので、すごい対極にあるような印象を受けました
自分たちで使える人たちは別に必要としていないんですよ。こういう場所は。自分たちだったら、なにか困ってもスマホで検索すればなんとかなると思ってるじゃないですか。
集学校のお客様は、まだそこにたどり着けていない人たちです。そんな人がITを使えるようになれば、「あそこで出来るようになったよ」って広告塔になってくれるかもという期待もありますよね。
-舟形町の魅力や特徴的だなって感じることがあれば教えてください
舟形の人たちは、最初はとっつきにくいのかなって感じたのですが、ただ入ってみると世話好きな方ばかりでした。みんなよくしてくれます。
-どこのどの人だと分かると安心してくれるってありますよね
そうそう。そういった意味では自分にとっては本当に暮らしやすくて、何も不自由してないです。多くの人から「雪さえなきゃすげーいいところだ」って聞かされるんですけどね。
-甲州さんもここの魅力は人なんですね
人だと思いますね。デジタルが進化したとしても人付き合いは切っても切れないと思うので、そこが楽しめるかどうかというのは移住やここで住むには必要なんじゃないかなって思います。最初に自分が描いていたのよりも、全然適度な距離感なんです。町内会の集まりとか消防団でもそうですけど、絶対に出なきゃダメだとかなくて「出れるときにみんな頑張ろう」っていう感じです。
-鮭川村のちひろさんも同じようなことを仰っていました
結局ギブ&テイクじゃないですけど、ちゃんと出ていれば自分が困っている時にみんな助けてくれます。初めての冬の除雪で「一人で全部これやるのか…」って茫然としていたときに「大変なら重機持ってきてやるよ」って助けてくださる方がいて、ホント助けてもらってばっかりですね。
でもその代わり、ITとかで困ったときは全部対応しますし、家まで出かけてトラブル解決することもあります。お返しじゃないですけど、私が協力できる部分かなと。
なかにはそうやって繋がった方から、作業料払うから補助金の申請をやってくれっていう依頼をいただいたこともありました。
-そういう担えることがあるっていうのは地域のなかに受け入れられる要素のひとつなのかもしれないですね
そこは昔も今も変わっていないのかもしれません。なんかやってもらったらお返しがあって、そうやって協力しあって生きていく。
ただそれが都会だと全くないじゃないですか。自分も埼玉や千葉に住んでた時は、隣にどんな人が住んでいるのか全く分からなかったですから。こっちだと回覧板を回さなきゃいけなくて、隣近所の人たちと回覧板を通して顔をあわせて挨拶もするので、それだけで付き合いができてしまったりします。
-甲州さんがこれから実現したい暮らし、理想の暮らしを教えてください
今理想に近い暮らしができているなって思います。
結局何をするにしても決めるのは自分なんです。だって何かあったときに誰かのせいにしても変わらないししょうがないじゃないですか。自分の場合、舟形に来るのも自分で決めましたし、会社の意向と自分のこういうことをやりたいっていうのが嚙み合って、同じ方向を向いて仕事ができています。
なかには不得手な仕事とかやりたくないこととかも出てくるけども、それを含めての自分で選んだ道なので、自分がやりたいことを出来ている感覚がありますね。しかも、みんなが協力してくれるっていう環境があって、それだけでもだいぶ楽しい生活できてるなって思いますよね。
-私も移住をしたときに、決断と選択は違うんだとようやく気付くことができました
選択肢そのものが誰かから提示されたものっていうこともありますよね。ただその場合でも、自分が納得して選択できていればいいと思うんですよね。そこからはもう自己責任で、あとになって誰かのせいにしてしまうようだと辛いばかりだと思います。
-移住が成功するかどうかって、そのあたりの部分も大きいかもしれませんね
自分の場合は仕事があってここに来ましたけど、移住をする理由、自分が思い描く未来が楽しいもの楽なものになっているかどうかっていうのは、やっぱり考えた方がいいんじゃないかなとは思いますよね。
-都会が辛いからとかじゃなく?
そうそう。都会も楽しいけどとかの方が絶対いいですよね。都会と田舎の両方のいいところどりができるのって、やっぱり田舎だからできることだと思うんですよね。
-移住を考えている人、移住してきたばかりの人がいたらどこに案内しますか?
イベントだったら若鮎まつりに案内したいですし、地元の仲良くなった人とのとこころにも遊びに行きたいですね。
若鮎まつりでは、毎回いつも鮎を焼いてるので、一緒に手伝ってもらいます。手伝うと美味しい鮎が食べられますし、町の色んな人にも紹介できますね!
-人に会いに行く?
その人を通して新しい気づきとか、新しいことを知る機会が生まれますよね。舟形のことを知ってもらうのに、人との交流って欠かせないと思います。
あと、猿羽根山のそば屋さんから眺める景色がそれだけで絵になるんですよ。うちの社長ともよく話すんですが、田舎には都会みたいな観光のメインスポットなんて別になくてもいいんじゃないかって。舟形だと、それこそ冬の夜空。それだけでもう見る価値はあると思うんです。ここでは当たり前かもしれませんが、寒い日の夜なんて都会では絶対に見れない綺麗な星を見ることができます。
何もないがあるって、よく言いますよね。そういったのも楽しめるといいのかなって冬の星空を観てつくづく思いました。
世話好きな舟形町の人たちに助けられながら、スマホやITで困ったときは助けてあげているという甲州さん。そうやって担える役割があると地域に受け入れられやすいのじゃないかという話題になりましたが、それは個人だけじゃなく会社組織でも同じことだなと改めて思いました。
前例がないからと最初は苦戦されたそうですが、IT弱者や情報弱者という言葉が当てはまることの多い農山村において、長沢集学校が果たせる役割というのはとても大きいということが分かりました。そこには新しいチャレンジや民間企業との協働をためらわなかった舟形町との幸運な出会いと、甲州さんが話してくれた、コミュニケーションを取ることが仕事のスタートでありゴールでもあるという会社の姿勢があったからだろうと思いました。
全国22校に広がった集学校の最初の一校が舟形町の廃校から始まったというのは痛快です。その柔軟性と協働力は誇ってもいいのではないでしょうか。
印象に残ったのは、舟形の魅力として町の人との距離感や関係性を挙げてくれたこと、舟形での暮らしが理想に近いものだと語ってくれたことです。甲州イムズというか人生観にも触れることのできたインタビューでした。舟形の人たちと交流したい方は、長沢集学校に甲州さんを訪ねてみてはいかがでしょうか?
取材日:2023年12月6日
聞き手:梶村勢至(最上暮らし連携推進員)
山形県山形市出身。パソコンのセルフビルドの経験を活かし、大学卒業後はパソコンのセットアップ派遣や家電量販店でのアルバイトなどに従事。30代で就職したリングロー株式会社の新規事業に応じて2016年に舟形町に移住。舟形町デジタル活用支援員兼長沢集学校校長。