佐藤萌以さんは結婚を機に真室川に移住し、地域おこし協力隊に着任されました。協力隊員として伝承野菜の普及や販路開拓などに取り組んだあと、一般社団法人を立ち上げ、デザイナーとおはぎ屋店主の二足の草鞋を履いて活躍しています。農家の嫁としての暮らしや事業のことをお聞きしました。
-真室川への移住のいきさつを教えてください。
結婚を機に真室川に移住しました。
入籍してすぐは新庄で二人暮らしを始めたんです。数カ月だけなんですけど。
っていうのも前職の仕事が日をまたぐようなことが続いてきつくなってしまいまして、勤めはじめて5年になるのを機にその年の3月31日で退職したんです。
2人暮らしを始めたときは何年かアパートにいるつもりだったんですが、「仕事も辞めるんだったらもう実家に戻っちゃおうか」って話が出まして、それもあるかと思って、旦那さんの真室川の実家に入ることになりました。
-旦那さんの実家って農家で家族も多いし、一般的には嫁いで家に入るのを敬遠する女性も多いと思うんですが躊躇なく入れたのですか?
あんまり深くは考えていなかったかもしれません。
付き合いが長かったので何度も泊まりに行ってましたし、お義父さんお義母さんに関してはそんなに難しくは考えてなかったです。おばあちゃんは、やっぱり昔ながらの考え方とか難しさっていうのはある方なのでそこはちょっと気にはなっていたんですが、一緒に暮らしてみないと分からないしなって。どうにかなる、なんとかなるってその時は思ってましたが、それよりも旦那さんと一緒に暮らせるっていう方が大きかったんですよね!
-二人暮らしでも一緒に暮らせたと思うけど?
そうなんですけど、2人よりも気持ち的に家族がいた方が私はいいかなって。将来的に家族が増えたとしても安心だなっては思っていました。
実際は家族が多いから大変でしたけどね。親しき中にも礼儀ありというか、やっぱり気を使わなきゃいけない部分が多く出てきて、これしたらちょっと嫌かなとかこれは違うよねみたいな、お互いにすり合わせする時間が何年か必要でしたね。
-すり合わせは今も?
そういう時もありますが、割とはっきり言えることも増えてきました。でも、全部その時に言ってしまうとかじゃなくて、お互いにタイミングを見計らって話はしています。そういうのは同じ家族だとしても大事なのかなって。難しいんですけどね。
けど、やはり子どもが生まれてすごく家庭のなかも明るくなったし、家族との仲もなおさら良くなったって思います。子ども達がいることで喜ぶことも悲しむことも話題には事欠かないので、それがすごく大きい感じですね。
-おばあちゃんとの関係性はどうですか?
それがですね、子どもが生まれて二人に増えて、岩のように堅かったおばあちゃんがこんにゃくみたいになりました!やっぱりひ孫は目に入れても痛くないみたいです!
-ご自身はどうですか?子どもができて変わったことありますか?
私、すごい神経質なところが小さい時から多かったんです。こうじゃないとダメとか、なんでこうなるの?って。今もまだ神経質なところがあるけど、子どもが一人、二人と増えてそれどころじゃなくなったというのもあるのかもしれないですが、「あー大丈夫だ、どうになかる」って少しずつ考えられるようになってきたなって思います。
-真室川に来る前はデザインのお仕事をされていました。
もともとイラストを描いたり字を書いたりって好きだったんです。そうしたら中学生の時に指導してくださった先生からグラフィックデザインって仕事があるよって教えていただいて、将来的にそういう仕事も考えていいんじゃない?って。ひょっとしたら軽い感じで話してくれたのかもしれませんが、自分の好きなことを仕事にできるんだったらすごい嬉しいことだなって思ったんですね。
高校は新庄神室産業高校に進み、その後も山形デザイン専門学校に進んでデザインの勉強をして、卒業後は新庄の印刷会社に就職してデザインの仕事に就くことができました。
-印刷会社に5年間勤めたあと、結婚を機に真室川に移住したタイミングで地域おこし協力隊に着任されました。
はい。移住してくる前に募集を見つけてチャレンジしようと思いました。
今までやってきたことを活かして新しいことにチャレンジしたいって思っていたのと、それまで会社に籠って絵を描いてチクチクものを作るのは苦でもなくて好きなことではあったんですが、もっと外に飛び出して人と関わりを持ったうえでモノづくりとかしてみたいなって思ったのが、協力隊になった動機ですね。
協力隊では農家さんが作る農産加工品のパッケージデザインをさせてもらったり、町の伝承野菜の普及活動として商品開発をしたり販路開拓をしたり、伝承野菜のリーフレットを作ったり、梶村さんと一緒に移住リーフレットを作らせてもらったりしましたね。
-人と関わることはできましたか?
協力隊の先輩達から色んな方を紹介してもらって、自分の生まれた真室川でも全然知らないことが多かったなって思いましたし、色んな方と出会って繋がりを持つこともできました。
もともとすごい人見知りなんですが、協力隊として活動していくなかで、もっと色んな人と出会いたいって思えるようになったと感じています。
-協力隊で楽しかったことはありますか?
色んなことありましたけど、やっぱり町の人と知り合っていくなかで、デザインを頼まれたり販路づくりのお手伝いなんかをするなかでお家に誘われて行ったときにする茶飲み話が楽しかったですね。
それでその方がどんな暮らしをしているとか、どういう生業をしているっていうのも知れるし、出してくれるお料理も美味しいし、その人のことを知れるのが私はすごく楽しかったです。
同じ町内に住んでいても、知らない文化とか風習とかが実は沢山あって、そういうものを教わる機会だったんですよね。同じところに住んでいるけど、違う時間を過ごしているんだなっていうのが私のなかではすごく面白かった。
-人との交流を通じて町を知っていった?
自分にとっては3歳くらいまでいた町なので親しみはあったんですけど、何も知らなかったんだなっていうのが見えてきましたよね。ちょっとしたお茶飲み話からその人の暮らしが知れて、それが私にとっての真室川の姿になっていったように思います。
-協力隊時代の伝承野菜の取り組みについてもう少し詳しく教えてください。
地域おこし協力隊員として活動を始めるまでは伝承野菜の存在を知らなかったんです。それが生産者さん達と交流を深めていくなかで伝承野菜の地域資源としての可能性と魅力に気づき、普及拡大とか次世代への継承といった課題に自分も貢献したいなって思ったんですね。
そう思うようになったのは、たった一人で『七夕白ささぎ』を作り続けてこられた中川信夫さんが「亡き母から決して種を絶やすなよと託されたんだ」って話してくれてからなんです。中川さんだけじゃなくって、伝承野菜1つひとつ、生産者1人ひとりに彼らが守り伝えてきた伝承野菜とのエピソード、物語があることを知りました。色んな人の想いのこもった伝承野菜、何世代もの人々の手を経て伝わってきた伝承野菜はそれだけで立派な地域資源ですし、真室川にしか残ってないものも多いですし、何より美味しいですよね。
もっと色んな人に知って欲しいとリーフレットを作ったり、販路開拓したり、ジェラート屋さんに協力いただいて商品開発したりもしましたが、自家用に少しずつしか作ってこなかった伝承野菜なので、販路を作ろうとしてもそもそも売るだけの収穫量がなかったりして課題解決につながる活動ができているのだろうかとモヤモヤすることも多かったんです。
-どんなモヤモヤだったんですか?
販路作りと供給力アップを同時にしなければならない難しさにぶつかってましたね。ニワトリが先か卵が先かみたいなモヤモヤ?笑
そんな頃に、お料理名人のおばーちゃんの髙橋喜久子さんが振舞ってくれた手作りのクルミ餡のぼた餅の美味しさに衝撃を受けたことがあったんです!
作り方を訊くと、「秋のお彼岸頃に胡桃が落ちてくるので、その前に胡桃の木の下を草刈りするのよ」と、胡桃を収穫して保存処理して、殻を割って、クルミを取り出してと、ぼた餅になるまでにすごい時間と手間をかけて作ってくださったのを教えてくれました。それを知ってから食べると、美味しさにプラスして有難さと優しさがあふれてくるような感じがしたんです。
こんなに美味しいものをもっと多くの人にも食べて欲しいなと思いましたし、おはぎは手間ひまかけて料理する保存食文化の素晴らしや伝承野菜の美味しさを伝えるコンテンツとしてとてもいいんじゃないかなと気がつきました。
おはぎ屋を営んで生産者から伝承野菜を仕入れて使わせてもらうことで、これまで自家用にしか作られてこなかった伝承野菜にわずかでも経済循環を生み出せるんじゃないかと思って、地域おこし協力隊の最終年度にはおはぎ屋の開業を目指して動いていました。
-地域おこし協力隊の任期終了後におはぎ屋を開業しました。
地域おこし協力隊の開業支援補助金も使わせてもらってお店を持ちましたが、2人目の出産でお休みもあって、2023年の4月に真室川町内で開業することができました。
春が近くなった頃に見れる気象現象で、晴れの日に舞う雪を風花と呼ぶんですが、そんな春の予感にウキウキするようなお店にしたいなと店名を「雪のおはぎ 風花」と名付け、週に2日だけ営業しています。
-どんな伝承野菜を使っていますか?
食材は真室川産や最上のものにこだわって使わせてもらっています。
伝承野菜は、白餡にするインゲン豆の「七夕白ささぎ」、きなこにする大豆の「青黒」、ずんだ餡にする大豆の「黒五葉」、里芋の「甚五右ヱ門芋」も使っています。もちろん喜久子さんに教わった胡桃餡のおはぎも作っていますが、やっぱり人気ナンバーワンですね!
-伝承野菜の普及や次世代継承につながっているなと実感できることはありましたか?
2023年は農業には厳しい年で作物によっては収穫量を減ってしまったものもありましたが、買い取りしているので安心して作付け量を増やしてくださる方も出てきました。また、舌触りがとてもなめらかで優しい味が人気の「七夕白ささぎ」に関しては、昨年お願いして新たに2人が栽培に加わってくださいました。
小さなおはぎ屋なので経済循環という面ではまだまだ弱いなとは思いますが、小豆を作っている新庄市の農家さんとつながったり、胡桃を採っている戸沢村の方とつながったりと、少しずつですがご縁も広がってきているのが嬉しいですし、楽しさとやり甲斐を感じているところです。
-デザイナーとおはぎ屋店主の二足の草鞋ですね?
そうですね!
でも、実は高校1年生のときにそのままデザインの道に進むか、製菓の方に進むかで悩んだ時期があったんですよ。学科長の先生から、迷ってないでいついつまでに自分のやりたいこと、本当にやりたい仕事を決めなさいって言われて。結局そのままデザインに行こうって決めて、すぐに仕事ができるようになりたいこともあって専門学校に進んだんですけど、その時の第2候補の夢がおはぎ屋で実現できるなっていうのもあったんですよ。欲張りだから。
それに、私、お彼岸の3月20日生まれなんですが、母がおはぎを食べて産気づいて生んでくれたので、おはぎ屋をするのは運命なのかなって!
-一緒に会社を立ち上げました。
1人で起業や事業するのは私にはちょっと難しいなって正直思っていました。協力隊で一緒に活動するなかで冊子を作ったりイベントを開催することがあって、協力隊卒業後も継続して一緒に活動していきたいなと思ったので。なんか恥ずかしいですね。
-真室川で実現したい暮らしを教えてください。
おばあちゃんになったら喜久子さんみたいに暮らしたいって思うんです。
喜久子さんは昔からのやり方を完全に守ってるわけじゃないですか。電子レンジや真空機とか新しくていいものを活用しながら、かけるところは手間ひまかけて美味しいものを作ったり、山菜を採ってきて保存食作ったり、除雪機を動かして独り暮らしして、すごい充実してるなって思うんですよね。
今は子どもも小さくて毎日慌ただしく暮らすので精一杯ですが、子どもが成長してくれば真室川らしい暮らし、郷土食を作るとか、手間ひまかけたやり方を私もやってみたいなって。
-憧れるよね。
そう。憧れますね。おばあちゃんになったらっていうのは大げさですけど、ゆくゆくはそういう暮らしができたらいいなって思います。
嫁ぎ先の佐藤家で言えば、お義母さんがお正月につくる鯉の甘露煮かな。旦那さんも好きで、鯉の甘露煮のあるお正月を続けたいって言ってるのですが、そういうのも習っておきたいなって思っています。
-萌以さんが思う真室川の魅力を教えてください。
真室川の魅力もやっぱり人なのかなって思います。昔から続けてきた暮らしを継続して実践している人がいます。それが魅力の1つなのかなって。
-たとえばどんな人がいますか?
おはぎの師匠の髙橋喜久子さんはお料理名人で、山菜や胡桃を採ってきて保存食に加工していて、季節に合わせた、手間ひまかける暮らしを実践しています。人を歓迎するのが大好きで、いつも美味しいものをさりげなく出してくれて、完全に胃袋を掴まれてますよね!
佐藤昭夫さんは山菜採り名人で、いつどこの山にどんな山菜が出てるかを知り尽くしていて、群生地が消えないように知恵をこらして色んな山菜を少しずつ採って来るし、薬草の知識もすごくて野草茶を作るし、川に設けた梁でアユも採っちゃう。自然から食を得ることに関する「生き字引」みたいな人ですよね。
髙橋伸一さんは藁細工作家として知られているけど、伝承野菜をはじめとした100種類くらいの野菜を栽培していて、自家採種もしています。肉牛の繁殖もしていて、野菜屑は牛の餌になるし、その糞はたい肥にして田畑に戻していて、昔ながらの循環型農業を営まれていらっしゃいます。昔はこのあたりの農家はみんな伸一さんがされているような農業をしてきたんだろうなって思います。
-そんな昔ながらの暮らしをしていることのどういったところに魅力を感じますか?
真室川も人口減少が進んでいて、住む場所として選ばれにくくなっているのかなって思うんですけど、そういう昔ながらの暮らしの中に、真室川だから実現できる豊さのヒントがあるんじゃないかなって思いますよね。
あと、私はやっぱり、そうやって残っていること、残そうとしてくれていることって凄いことなんだと思うんですよ。辞めてく人が多かったり、実践していても亡くなってしまうことが多い時代ですから。それが普通に毎年繰り返してやれていること、日常的にできているっていうのは凄いことなんだって思うんです。
とっくりかぶを作ってきた中川さんも、本人は手間がかかって大変って思うこともあるかもしれないですけど、それでも親から託されたことでもあるし自分にとって欠かせないことだって思っているから続けられているんだと思うんです。
-真室川はどんな町になるといいと思いますか?
真室川には伝承文化や昔ながらの雪国の暮らし文化が多く残っているので、そういうものが途絶えることなく暮らしの中に残っていくと良いなって思っています。番楽(ばんがく)だと小さい子ども達が伝承に取り組んでくれているので、彼らのなかから担い手が出てくるといいなと思いますね。
-どうやったら残せると思いますか?
協力隊の頃から関わっている伝承野菜に関しては、やっぱりもっと若手の農家さんが参加しやすい環境づくりが重要なのかなって思います。やっぱりちゃんと販路をつくって儲かるようにしないとチャレンジできないだろうなって思うんです。
私たちのおはぎ屋で使える量もまだまだ限られているので、他のお店とか販売先を見つけていきたいですね。そのためにも、伝承野菜のことを知らない人に向けて、その美味しさや魅力をおはぎを通して伝えていきたいなと思っています。
-仲間が欲しいですね。
昔から真室川に伝わってきたものに関心やリスペクトを持って下さる方には面白い町だと思うんです。
おはぎ屋が生み出す経済循環も大きくしていきたいですし、保存食文化や伝承野菜の次世代への継承といった課題もあります。その人に合った関わり代を用意できる可能性があると思っていますので、一緒に盛り上げてくださる方が来てくれると嬉しいなって思います。
佐藤萌以さんはいわゆる「農家の嫁」でありながら会社を立ち上げ、仕事と子育てを両立しています。嫁ぎ先の理解と応援があってこそ実現できたことと思いますが、そのために彼女も家族に気を遣ってきたし、距離感や関係性の「すり合わせ」に何年もかかったと教えてくれました。
家族の形はそれぞれで良し悪しを断じることは難しいですが、若い女性から人口流出している最上地域において、その原因の一つとして考えられる「社会としての不寛容性」は乗り越えていかないといけない大きな課題だと思います。そんななかで、佐藤萌以さんの活躍は、女性や若者の生きやすさにも繋がり得る意味のあることなのではないかとも思いました。
一緒に起業し仕事をしている仲間としても、応援していきたいと思っています。
気象変動の時代にあって、毎年毎年変わらず繰り返されることの尊さと豊かさに気づかされる昨今ですが、真室川の魅力も「昔から伝わってきたことが変わらず残っていること、残そうとしていること」という萌以さんの言葉が印象的でした。
昔から伝わるもの、昔ながらの暮らしに興味を持たれた方は、雪のおはぎ風花に佐藤萌以さんを訪ねてみてはいかがでしょうか?
取材日:2023年12月21日
聞き手:梶村勢至(最上暮らし連携推進員)
真室川町釜淵生まれ。4歳の時に引っ越した新庄市で育つ。山形デザイン専門学校を卒業後、新庄市内の印刷会社に就職しデザイン業務に従事。2017年4月に結婚を機に真室川に移住し、地域おこし協力隊に着任。2022年2月に一般社団法人雪と暮らし舎を設立し、代表理事に就任。デザイン事業を担う他、2023年4月には地域食材を用いたおはぎ屋「雪のおはぎ風花」を開業。