日本有数の豪雪地の「自分たちが楽しむ」村おこし|早坂 隆一さん(大蔵村)

青森県の酸ヶ湯温泉と毎年のように積雪深日本一を競う大蔵村の肘折温泉にUターンし、家業のそば屋を継いだ早坂隆一さん。青年団団長として、アーティストとのコラボで温泉街に灯を点す「ひじおりの灯」や、その豪雪を逆手に取ったスポーツイベント「地面出し競争ワールドカップ」など様々な地域活動も展開されています。そんな早坂さんに、Uターンのことやこれからの肘折への想い、地域活動の考え方などお伺いしました。

2005年、27歳の時にUターンしました。子どもの頃から自然とそば屋を継ぐんだと思っていたんですよね。「折角大学院まで行かせてもらって東芝という大企業にまで入ったのにもったいない」っていう声もありましたが、自分にとってはとても自然なことでした。

そうなんです。子どもの頃からお店を手伝っていて、それは山形市に下宿していた高校生時代も、北海道大学に進学しても勤めていたときであっても、お盆や正月、ゴールデンウィークには帰省してお店を手伝っていました。そうやって帰ってきたときに、周りの人から行事や飲みに誘われることがとても心地よかったということもありました。

自分の中ではもう少し東京でサラリーマンをするイメージだったのですが、自宅兼店舗を建て替える計画が出てきたことでリアルにUターンを考えるようになって、2年ほどシステムエンジニアとして勤めた会社を辞めて帰ってきました。

「そば処 寿屋」でお話ししてくださる早坂さん

それはですね、中学生の時に「ジュラシックパーク」を観て、自分はそば屋を継ぐんだろうけど、そばと真逆の世界も見てみたい体験したいって強烈に思ったのが大きかったんです。

それで理数系が強かったこともあって高校は山形南に進学して下宿生活をしたんですが、そこで「肘折アイデンティティ」が育まれたって感じています。

自分が肘折から来てるって言ったら「そんな山奥から来たの?」ってまず驚かれましたし、肘折でしてきたことを話すと面白がって凄く聞いてくれたんです。肘折がネタになることを知って、自分の武器になるなって気づきました。

新緑と残雪に輝く肘折の春。早坂さんイチオシの風景。

たとえば、肘折では「わらび採り大会」をしてたんです。大会に向けてみんな山に入ってわらびを採ってきて、その量を競う大会です。そのわらびは最後は商店や観光客が買ってくれるので地域もハッピーなんです。あと、後に地面出し競争が生まれるきっかけになった雪上運動会のことも話したと思います。

肘折でやっていたことって、よそではやってない面白いことだったんだって気づきましたし、北海道や東京に出てもそれは変わらなかったですね。肘折の外に出たことで、さらに肘折の良さに気づくことができたと思っています

何かを大きく変えるというより、今の暮らし、日々の暮らしを少しずつでも良いものにしたいですね。

実はコロナがあって、営業時間を17時までから15時までに短縮したんです。そうすることでそれまでになかった余暇ができて、家族に向ける時間も増えたし、そんな余暇を楽しむ暮らしを続けられたらと思っています。

そういう意味でも、自分たちや地元の人たちがどこかで無理をして観光客をいっぱい呼び寄せるよりも、自分たちの暮らしを楽しむことも意識したいなって思うんです。

そば店の隣りの郵便局。ポストに積もる雪の写真は早坂さんが毎年のようにSNSに投稿されています。

Uターンして間もなく青年団に入りました。それ以来ずっと団長をしていますが、それは新しいメンバー、下の世代が入ってこないからです!笑

18年経ったけど若者のメンツはほとんど変わらず、10人くらいでゆるく活動しています。活動の方針というか姿勢としては、自分達が面白いと思えるかどうかが大事で、地域のためとかは考えないということです。

義務的になってしまうと辛いですし、自分たちが楽しめるかどうかという価値基準は地域の子ども達に背中を見せている面もあるんです。私は、子どもは自分で進路を決めたらいいと思っているのですが、肘折は楽しいところだよっていうことは伝えたいなと。

もともと、旧肘折小学校で春の運動会をするために校庭の雪を早く溶かさないといけなくて、穴掘りをしていたらしいんです。それをどうせならって競技化して、肘折中学校の雪上運動会で28年間継承されてきたのですが、2009年に学校が閉校するという時に「せめて地面出し競争は残したい」って声を上げました。見てて楽しいですし、何より肘折にしかない肘折らしい競争じゃないですか。

これぞ肘折!見えているのは2階部分!!(そば処寿屋の薪ストーブで使う薪を保管する小屋)

やっぱり地面出し競争ですね!

雪が3メートルも4メートルも積もっても、当然ですが掘れば必ず地面が出ます。それって、「必ず春が来るんだ」ってことをすごく体感できる瞬間なんです。土のにおい、春のにおいがするんですよ!

だからやっぱり冬の肘折を体験して欲しいですね。肘折では1年の半分は雪があるんです。除雪しないといけない厳しい冬ですが、それでも冬があっての春ですし、雪があっての山菜ですから。

地面出し競争WorldCupの様子。毎年参戦するコアなファンも多い。土を掘りだすまでのタイムを競う。

肘折は湯治場なんだなって最近よく思います。

湯治場って、色んな人が来て地元の人とも交流する場所で、どんづまりで、とどまる場所でもあるんだと思います。

常連さんにも沢山訪ねてきていただいています。そんな風に顔が見えるようになると交流が始まったり、新しいものやコラボが生まれたりがしやすい場所だなと感じています。

2007年から始めた「ひじおりの灯」も東北芸術工科大学さんとのコラボですし、先日も山形ドキュメンタリー道場のつながりで「ひじおり冬の映画まつり」を開催することができました。 肘折は観光で成り立っている温泉郷ですが、ただのお客様として通り過ぎていくものだけでなくて、交流が新しいものを生みやすい場所。それが魅力だと思います。

店内でひときわ目を惹く肘折の四季が描かれた木製ボード。
「ひじおりの灯」に参加した日本画家山口裕子さんの作品。

肘折ならではの文化や環境のなかで、人との関わり方をアップデートしたいなと思っています。これまでのお客様としての関り方だけじゃなくて、関係人口として地域を応援してもらう関わり方も模索したいです。

たとえば湯治プランで長期滞在してワーケーションを楽しんでもらいながら地域活動に関わってもらうとか。そんなことを考えています。

それと、肘折も人が減っていく一方です。先ほど地域活動は「自分たちが楽しめるかどうか」だって言いましたが、高齢化による担い手不足で、「任せた」って青年団のやることが増えてきました。そういうこともあって、やり方や規模を変えていくタイミングに来ているなと感じています。

肘折の旅館の雪下ろしでの一枚。豆腐のように切り分けて豪快に落としていく。

もっと言うと、何を残さないかを積極的に考えたいなと思っています。だって次の世代に負担になることは残したくないじゃないですか。

そんな時でも「自分たちが楽しめるかどうか」を考え続けたいですね。
経済的な豊かさよりも幸福かどうかを大事にしたいですから。

 子どもの頃からそば屋を継ぐことを意識していたという早坂さんも、肘折を離れて外から見ることで故郷の良いところに気が付いたと教えてくださいました。田舎コンプレックスに陥らずに、むしろ自分の武器として捉えて「肘折アイデンティティ」を確立することができたのは、ひょっとしたら早坂さん自身が子どもの頃に大人たちの背中をよく見て育ったからなのかもしれないなと思いました。
今回のインタビューで繰り返し語ってくれたのが「自分たちが楽しめるかどうか」という言葉でした。「自分たちがなんとかしないといけない」というよりも、「楽しいからやっている」からこそ足の長い活動が続けられているのですね!
ハッとしたのは「何を残さないかを積極的に考えたい」と語ってくれたことです。同じく人口減少の著しい地域に住む者として、とても共感できる言葉でした。しかし実際に、何をして何をしないかを決めて実行できる場所があるとすれば、それはコンパクトなコミュニティとどんづまりの湯治場でもある肘折、幸福かどうか楽しいかどうかを起点に若者らが地域活動に取り組んでいる肘折なのかもしれません。
湯治場で生まれる新しいコラボや地域像に関心を持たれた方、関係人口として関わり代を探したい方も、肘折の雪を体験したい方も、肘折の『そば処寿屋』に早坂さんを訪ねてみてはいかがでしょうか。

取材日:2023年12月6日
聞き手:梶村勢至(最上暮らし連携推進員)


早坂 隆一

山形県大蔵村出身。北海道大学大学院卒業後、東芝でシステムエンジニアとして働いたのち、2005年にUターン。家業の「そば処寿屋」を継ぎ、4代目としてお店を切り盛りしている。肘折青年団団長として、「ひじおりの灯」や「地面出し競争ワールドカップ」、「湯治場ラジオ」などの肘折を盛り上げる活動を仲間と一緒に精力的に続けている。


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この記事を書いた人

最上暮らし連携推進員の梶村です。
滋賀県出身で真室川暮らしが10年目の移住者です。地域おこし協力隊の後輩と起業し、真室川町の移住推進業務に取り組むほか、2023年から町の食材にこだわった手づくりおはぎのお店も始めました。
季節ごとに山菜採りや渓流釣り、蛍狩り、雪板を楽しんでいます。

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