戸沢村の「最上暮らしパートナー」の鈴木英策さんは、2015年に地域おこし協力隊員として戸沢村に移住し3年間廃校の利活用や地域活動に取り組んだ後、同村集落支援員を経て2021年4月より日帰り温泉施設「いきいきランドぽんぽ館」の支配人を務めていらっしゃいます。東北・北海道ボディビル選手権「鐵人の國」のHALF BODYの部チャンピオン(2022年大会)でもある鈴木さんにお話しを伺いました。
-移住先として戸沢村を選ばれた理由や経緯を教えてください。
20代前半にワーキングホリデーを利用して訪ねたオーストラリアとカナダでの経験から、いつか自分も田舎暮らしをしたいなと憧れを持つようになりました。その後10年ほど高級マンションのコンシェルジュの仕事をしてきましたが、ライフステージが変化したときに面白いのないかなと探していて協力隊の存在を知りました。
ネットで募集情報を探して幾つか候補があったなかでたまたま最初に書類を送ったのが戸沢村。で、送ってすぐ後に当時の総務課長から連絡が入り「東京出張があるからそこで会いましょう」と面接をしてくれることになりました。とんとん拍子。二つ目のところに書類を送る暇もなく。面接というか、もう半分、いつから来ますか?って感じでした!笑
-地域おこし協力隊時代のミッションは廃校の利活用でしたよね。
実際に着任する前に一回遊びに来たらどうですか?と誘われて春に訪ねたのですが、その時に「廃校あるんだけど住まねぇか?」と言われてこれは面白いぞと。そのまま旧角川中学校舎に住むことになりました。
協力隊のミッションも「廃校の利活用」になりました。調理師免許もあったので、そのうち村から「カフェやって」という提案もいただいて、着任して2年半後にカフェ「すっぺや」をオープンしました。開いたら今度はコロナという感じでしたが。
-なぜカフェだったのでしょう?
角川って何もないわけですよ。でも案外と人口はあって、地域の人たちからお茶したり話しができる場所が欲しいという声をよくいただいていました。みんなの寄り合い所をつくろうとなったわけです。
-地域の人との関わりも多く持たれていますよね?
角川元気プロジェクトって団体があって、一番若いと10代からいて40後半まで。若手の人たちで地域の祭りをしましょうと頑張っていて、角川太鼓、雪回廊、サマーパーティーと積極的に活動しています。
他にも、角川には農家民宿が5軒あるんですけど、そこで受け入れている教育旅行のお手伝いを地域のお母さん達と一緒にしたりとか。あと寺台農園というところで伝承野菜の角川かぶの栽培のお手伝いをしたりとかしてきました。
そこは大好きだったコンシェルジュの仕事がこっちに来て役に立っているのはあると思います。人との関りが大好きなんです。
-人との関わりの楽しさはどういうところにありますか?ありがとうって返ってくること?
何もないところがいちばん好きかもしれない。ありがとうを期待するとか、家族じゃそうじゃないじゃないですか。居て当たり前。してくれて当たり前。空気みたいな感じで。角川では、私のことをよそから来たとかいう空気を出さずに、そのまま、さも前から住んでいるみたいな感じで受け入れてくれているんです。その空気感が好きですね。
-鈴木さんが戸沢村で実現したい暮らしってどんな暮らし?
地元の人と同じ暮らし。家買って、その地域に住んで、おはようございますっていう当たり前の暮らし。私は移住者だけど、いつまでも他所から来た人ではなくて、今までも住んでいたみたいな当たり前の生活に溶け込むような暮らしがしたいなと思ってますね。
-どうしたら地元の人からそう認められると思いますか?
自分がそこの地域にどれだけ思い入れをつくれるかだと思うんです。移住してくると色んな人から「本当にこいつはここに住むのか」って見られるわけです。ただ住むだけでその地域に思い入れがなかったら、冬になれば雪はキツイし、家があれば草刈りしなきゃならないし、農作業手伝わないといけないとかただただツライだけになってしまうかもしれない。
でも、ひとつひとつ地域の人たちがやってることを一緒にやって、同じ目線になってるというのができるようになって初めて、多分認めてくれることがあるんだと思います。
-同じ目線になるって簡単じゃないですよね。
私に料理人修行の経験があったからできたことかもしれませんが、農園の人から5時集合と言われても4時半に行くタイプなんですよ。すると意外と相手もその時間にいたりするんですけど、言った時間より早く行ってやる気を見せるのがいいみたいなのがあるんですよね。私の姿勢と地域の人たちの価値観みたいなのがたまたま合致していたというか、すんなり入っていけたというのが良かったなと感じています。
他にも、たとえばまだ眠っている朝4時に電話がかかってきて4時半から草刈りするぞと。とりあえず着替えて歯も磨かねで駆けつけるとか、私は当たり前にできたので地元の人からすげー受けいれてもらえたんだけど、他の人にそれが出来るかというと難しいですよね。けれど、そういうところもないとこういう田舎だと「よそ者だから」ってなっちゃうのかなって難しさは感じています。
-角川に家を買われましたね。
協力隊の時からずっとお世話になっていた方の奥様のご実家でした。しばらく空き家になっていたんですけど、私が結婚するということもあって、不動産屋とか他の人には声を掛けないで取って置いてくれました。ありがたいことですよね。
私がある程度顔が売れているので、嫁さんにも「鈴木さん処の奥さんだべ?」って言ってくれるんですが、それが嬉しいんですよね。私の奥さんだって知っててくれて輪に入れてくれる、認めてくれるというのが嬉しい。仲間にいれてくれているのかなって気がします。
-今のお仕事について教えてください。
村の第三セクターでもある株式会社戸沢村産業振興公社が運営する、日帰り温泉施設「いきいきランドぽんぽ館」の支配人を務めています。
-ぽんぽ館の支配人という仕事は村から提案があったのですか?
そう。私が来るまで6,7年支配人というポジションの人がいなかったんです。しかも、今の副村長が来る前は村長しかいなかったので、村長が社長で現場のトップは主任しかいないという状況でした。
そうしたなかで村長、副村長、教育長と総出で口説かれました。前職時代に管理職の経験がありましたし、どこでも入っていけるのを買ってくれたのかもしれません。
-その時どう思いました?
大変だろうなって思いました!笑
いまだに全社員のなかで一番年齢が下なんですよ。開業当初からの方もいらっしゃいますし、協力隊のどっかから来た若造がいきなり支配人として来るわけですから。
しかも、ずっと支配人がいなかったので仕事の引継ぎも何もありませでした。
地域のなかでは地元の人と同じ暮らしをしたいと思っていますが、仕事の方では地元の人じゃないからこそ出来ることよそ者だから出来ることを活かして、両輪で行けるといいなと思っています。
―引き継いでからぽんぽ館が変わったっていうことはありますか?
施設の大きなリフォームがあったということもあって、若い人が増えたのと滞在時間が長くなりました。最初はご高齢とか近所のご家族が来てくれていて、土日はプールがあるのでご家族連れが多い感じでした。最近では大学生や若いカップルが来てくださるようになり、朝一番で受付けしたお客様が夕方にまだいらっしゃるなど、一日過ごせてゆっくりできるみたいな雰囲気になってきました。
あと、「鈴木さん」って呼んでくれていたスタッフ達が、最近は「支配人」と呼ぶようになりましたね。鈴木さんで良いよと言ってるんですが、認めてくれるようになったのかもしれません。
―戸沢村や角川地区の魅力を教えてください。
角川は、よそ者の受け入れに慣れているなと思います。教育旅行は山形県内でも先進的にやってきたし、農家民宿を始めるのも早いほうでした。もともと角川にはそういう風土があったのかなという気がしますね。
あと、程よい山間部です。山々しくないし、かといって町から近いわけでもない。気合いを入れて生活しているというのも面白いところですね。病気になったら病院遠いとか、醬油がなくなった塩がなくなったらスーパー遠いとかありますが、だからみんなで助け合おうってなりやすいんだろうし、そこで住むってある程度の覚悟がないと住めないようなところでもあると思います。
東京だと生きているというよりどうしても日々をこなす感が強かったんですけど、こっちは自分が生きていることを感じられる良い場所だと、私はそう感じています。四季を感じられるし、山が生きている川も生きているってことをそのまま感じられます。そういう意味でも生きているなって気がしますね。
助け合いという部分では、国民健康保険発祥の地と言われているくらい歴史があるところですしね。
―移住者や移住を検討している方が来たらどこに案内しますか?
農家民宿に泊まってもらいたいですね。まず人を受け入れるのに慣れている方たちだし、その人たちの生活も見られるし。ここにある生活そのままを見て欲しいですね。
戸沢村には「最上川舟下り」もあるし「幻想の森」もあるけれど、そういうところにも連れて行くけど、そうじゃなくてふと見上げた夜空とか、なんとなく帰り道に見る川の景色とか、その時その場所でしか見られないものをただそのまま見て欲しいなと思います。そういうところにいいなっていうのが少しでもあるかどうかって大事なんだと思います。
地域の今のままが好きという人を増やしたい。
―戸沢村や角川地区はどんな地域になるといいと思いますか?
難しい質問ですが、結論から言うと今のままでいいと思います。
苦手な足りないところを克服するよりも、得意なところを伸ばした方が良いって思うんです。課題的な言い方をすると、どうしても田舎っていう悪いところもあって若い人が流出してしまうとか、地域とか家族の過干渉によって若い夫婦が出てしまうとか色んな課題はあるわけですよね。でもそれはそれで地域の良いところでもあると思うんです。助け合ったりするという部分では。そこが良いバランスのまま今のままであって欲しいなって思うんです。
あとは、私がボディビルをやっていることにも関係するのですが、24時間営業のジムが沢山あって競技人口の多い都会じゃなくっても、こっちでも出来ることは幾らでもあるんだよ、チャンピオンにもなれるんだよっていうのを見せていきたいし、チャンスを広げていきたいって思っています。今の素晴らしいところを残しながら、でもやっぱり角川とか戸沢村でもこういうことが幾らでも出来るんだよっていうのを示しながら、「今の状態が好き」っていう人を増やしていきたいです。
英策さんはストイックに地域に飛び込み、地元の人のように受け入れて欲しいと願い行動されてきました。皆が自分のように出来るわけじゃないけどと断りつつ、地域に溶け込むための彼なりの方法を語ってくださいました。
そうした一生懸命さを地域の人たちは必ず見てくれているんだなというのが、地域の人たちから受け入れられている様子やぽんぽ館の支配人に抜擢されたことから伺い知ることができたインタビューになりました。
田舎の人付き合いの難しいと言われる部分にもポジティブな面がある、との彼の指摘には体験に基づく説得力がありました。今のままの角川地区、戸沢村を好きって言ってくれる人が増えるといいですね!
ありのままの最上の暮らしを覗いてみたい方、地元の人のように暮らしたい方は鈴木英策さんを訪ねてみてはいかがでしょうか?
取材日:2023年12月19日
聞き手:梶村勢至(最上暮らし連携推進員)
静岡県出身。2015年8月に戸沢村角川に移住し、地域おこし協力隊員、集落支援員を経て2021年4月に村の日帰り温泉施設「いきいきランドぽんぽ館」の支配人に就任。同年に結婚し、角川地区の空き家を購入し入居。第20回「鐵人之國」東北・北海道ボディビル選手権大会HALF BODYの部チャンピオン